名古屋人の歩き方(3)惰性で歩く
どーも。惰性で生きるすてっぴぃです。
名古屋の人は落ち葉が川を流れるように歩きます。それはもう流されるがままに。。。
今回は名古屋人の惰性で歩く感覚と、微妙に違う端っこの概念を解説いたします。
惰性で歩く
名古屋の人は何も考えず、惰性で歩くところがあります。
以前にも書きましたが、人間は人ごみを歩くとき、無意識にすれ違う人とコミュニケーションをし、予想を立てて歩いています。
詳しくはこちらね。
名古屋人の歩き方(1)ぶつかる
それはもう完全な無意識です。東京、大阪の人はそれらをコミュニケーションとも予想してるとも考えていません。何も考えずそれらを処理しています。
しかし、名古屋ではそれぞれが自分の世界観で動くから、これらのコミュニケーションも予想も全く役に立ちません。
そこで名古屋の人が編み出した方法が、惰性で歩くってことなんですよ。
文字どおり何も考えない。
簡単にいうと、動物や虫の避け方に似ています。
何も考えずにガーっと突っ込んでいき、対象物(人など)に行き当たってから避ける。
それはもう川を流れる落ち葉のような動きです。
なので他地域の人にしてみれば、この惰性で歩く動きが、突っ込んでくるように感じるわけです。(実際突っ込んでくるけど。)
名古屋の人は別に避ける気がないわけじゃないんです。
端っこを歩く
惰性の歩き方がはっきりと表れているのが、「端っこを歩く」という概念の違いです。
通常、人が端っこを歩くというのはこんな感じです。
電柱などは無視して、文字通り真っ直ぐ歩くわけです。
それが名古屋ではこうなります。
もう律儀に電柱などもなぞって、本当の端っこを歩きます。また横道などくぼんだ部分には、ふらっと引き込まれます。
これが名古屋の人にとっての真っ直ぐ歩くってことなんです。
これはまさに散歩中のワンちゃんと動きと同じ!
ひどい人だと、パターンの読めない歩行者や車が多いから、相手の動きを読むことを放棄して、端さえ歩いてればいいやって感じです。
人ごみを歩くときもこの動きで、とにかく行き当たりばったりです。
この動きを発見したときは、ここまで主体性がないのかと軽くショックを受けた記憶があります。
まとめ
これって相手の行動が読めないから生み出された、消極的な悲しい対処法ですよね。(自業自得なんですが。)
この主体性のなさ、当事者意識のなさは歩き方や車の運転だけでなく、仕事や人づきあいなど、ありとあらゆる場面に反映されています。
これはもう名古屋の文化なので、私が口を出すのはどうかと思いますが、名古屋の人が一番不快そうにしているので、ついつい口を出したくなっちゃいます。
楽しそうにニコニコしてたら文句は言わないんですよ。
ではー。